「北朝鮮の民衆は蜂起する」 亡命の元公使

北朝鮮のテ・ヨンホ元駐英公使
画像説明, 北朝鮮のテ・ヨンホ元駐英公使

テ・ヨンホ元駐英公使は昨年8月に亡命し、北朝鮮当局で最高位級の亡命者となった。その元公使がソウル市内でBBCのスティーブン・エバンズ記者による取材に応じた。多岐にわたったインタビューの中で、元公使は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は米国に核攻撃を仕掛けることも辞さないはずだと語る一方、現体制はやがて崩壊するとの見通しを示した。

普段から流ちょうな英語を話すテ氏だが、インタビューでは何度か言葉を詰まらせた。声を震わせてしばらく間を置く。目が潤む。そういう場面が何度もあった。

感情が静かにこみ上げるのは、北朝鮮に残った兄弟を思う時だ。

自分が亡命したせいで、親族は罰を受けているに違いない。テ氏はBBCにそう話した。それを思うと胸が痛む一方で、体制に立ち向かうという決意がより強くなると。

「私の親族や兄弟姉妹が山奥に閉じ込められたり、強制収容所へ送られたりしていることは間違いない。胸が張り裂ける思いだ」

収容所で苦しむ兄弟が自分に向かって叫んでいる。その場面を想像した時、テ氏は兄弟に何と答えるのだろう。

「考えるのも嫌な、つらい質問だ。だからこそ、私は全力を尽くして体制を倒すと心に決めている。親族だけでなく、北朝鮮の住民全体を奴隷状態から救い出すために」

テ氏に亡命を決意させたのは、ロンドンで生活をともにしていたもっと近い家族だ。子どもたちと、特に下の息子と話すなかで、自分が独裁体制を弁護しているのだと気づかされた。西ロンドンの公立学校に通う優秀な息子だ。

北朝鮮の英国大使館はロンドン西部イーリングの住宅地にある。写真は2003年4月撮影。

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下の息子は髪を長く伸ばし、北朝鮮へ戻ったら自分はどうなるのか知りたがった。北朝鮮の住民はなぜインターネットを禁止されているのか、とも。

他人の目がない自宅で、自分たち家族は体制のことを率直に語り合うようになったと、テ氏は振り返る。なぜなら「家族には、嘘はつけないので」。

テ氏の二重生活が始まった。英国の極左団体に社会主義がいかに素晴らしいか説きながら、それを家の中では糾弾した。息子たちにはいつも、決して一言たりとも口外するなと言い聞かせなくてはならなかった。

テ氏は西側の人間に会うと、ソウルでの生活について質問するようになった。北朝鮮の外交官は二人一組で行動し、互いの行動を監視することになっている。そのため西側のことを尋ねるには、西ロンドンにある行きつけのカレー店で、何も疑っていない(だろう)相棒がちょっとトイレに立ったすきを狙うことが多かった。

そして8カ月前、テ氏と家族は住まいにしていた大使館から姿を消した。そこからソウルまでどうやってたどり着いたのか、また英国や米国、韓国の秘密情報機関がかかわっていたのかどうか、テ氏は語ろうとしない。

ただ、自分の考えがどうやって変わっていったのかは、詳しく話してくれた。変化のきっかけになった息子は既にロンドンのインペリアル・コレッジに合格していたが、韓国で進学することにした。朝鮮人とひと目で分かるロンドンでの学生生活は、危険が大き過ぎると考えたからだ。北朝鮮の工作員に拉致される恐れもある。

ロンドン時代のテ氏は、常にリラックスして現地になじんでいる様子だった。きちんとした身なりと穏やかな口調で、郊外のテニスクラブにいても場違いではなかったし、実際に郊外のテニスクラブにも入っていた。

「当時の暮らし、とりわけロンドン・イーリングでの暮らしは本当に懐かしい。テニスクラブの仲間はとても親切で優しくしてくれたので、さよならを言えなかったことが今も大きな心残りだ。できることなら、懐かしい聖コロンバ・テニスクラブのメンバーにきちんとお別れのあいさつをしたい」

「下の息子は8歳でクラブのメンバーになった。素晴らしいコーチがいて、私と子どもたち、妻の家族全員にテニスを教えてくれた」

「英国の春も秋も心底恋しい。別れのあいさつをして感謝を伝えたいと、心から思う」

テ氏は外交官として北朝鮮の残忍な体制に仕え、その指導者に仕えた。

法を犯したことは一度もないという。北朝鮮の外交官は偽札のばらまきから詐欺まで、あらゆる違法行為に手を染めているとの悪名が高い。しかしテ氏は、自分は関与していないと言い切った。欧州の優秀な捜査当局を欺くのは無理だからと。

テ氏によると、大使館が犯した唯一の罪は、渋滞税を払わずに車を走らせたこと。当局に10万ポンド(約1400万円)の借りがある計算だという。

金正恩氏の兄、正哲(ジョンチョル)氏の付き添い役を務めたことはある。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたエリック・クランプトンのコンサートに同行した。

テ氏によれば、正哲氏は音楽にしか関心がなく、トラファルガー広場などの名所を案内して回ったが何の関心も示さなかったという。

Undated image released by North Korea purporting to show a submarine missile launch

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画像説明, 北朝鮮のミサイルや核実験は世界中の懸念と怒りを呼んでいる

正恩氏についてはほとんど何も知らないと、テ氏は言う。その生活は秘密のベールに包まれていて、住んでいる場所さえ、誰も知らないのだという。

だが正恩氏が冷酷な人物であることは事実で、相手に危害を加える能力は侮れないという。自分自身の生き残りが脅かされたりすれば、暴れ出し、手当たり次第に何もかも破壊するだろうと、テ氏は話す。

米国を攻撃できる手段は今のところないが、攻撃能力の開発には取り組んでいる。実戦に使える核兵器が手に入ったら、いつでも使ってやろうと考えるはずだというのが、テ氏の予想だ。

「自分の独裁体制を保証してくれるのは核兵器だけだと、正恩氏は承知している。自分の地位や世襲体制が脅かされていると感じた時には、この危険な兵器のボタンを押すと思う」

テ氏(右)は家族と韓国に亡命した

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ロサンゼルスのような都市まで破壊するだろうか。そんなことをすれば、報復として自分が殺されるのは確実なのに。

「やるだろう。権力を失えば、その日が自分にとって最後だと分かっているから、何だってやるかもしれない。ロサンゼルス攻撃だって。どうせ殺されるとなれば、人は何でもやる。それが人間の正常な反応というものだ」

正恩氏が自分のベッドで、穏やかな死を迎える可能性はあるのだろうか。

「ないだろう。私は金正恩体制がやがて民衆蜂起によって崩壊すると確信している」

その民衆蜂起は、外の世界についての情報が北朝鮮の中で広まることによって起きると、テ氏は考えている。

そして、テ氏が兄弟と再会する日は来るだろうか。

「絶対に再会できると信じている。故郷の町に歩いて帰ることが、私の夢だ」と力を込めた。