ナチス収容所のタイピストだった97歳、有罪判決 1万人以上の殺害に関わったと認定
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所で司令官の秘書だった97歳の女性に対し、ドイツ・イツェホーの裁判所は20日、1万500人以上の殺人に関わった罪で有罪判決を言い渡した。
イルムガルド・フルヒナー被告は10代のころ、ナチス占領下のポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所に速記タイピストとして採用され、1943~1945年に勤務した。
同収容所では、ユダヤ人やポーランド人、ソビエト連邦軍の捕虜など約6万5千人が、恐ろしい状況で死亡したとされる。収容者の殺害にはさまざまな方法が用いられ、1944年6月以降はガス室で何千人もが殺された。
戦後、ナチスの犯罪に対する追及が続いており、フルヒナー被告はここ数十年で裁判にかけられた最初の女性だった。勤務時は18~19歳だったため、裁判は特別少年裁判所で進められた。
この日の判決公判では、1万505人の殺人をほう助し、別の5人の殺人未遂に加わった罪で、執行猶予付き禁錮2年の刑が言い渡された。
被告は民間の労働者だったが、収容所で何が起きているかは十分に認識していたと、裁判所は認定した。
裁判では収容所の生存者たちも証言した。そのうちの何人かは裁判中に死亡した。
被告は昨年9月に裁判が始まると、入居していた高齢者施設から逃げ出したが、数時間後にハンブルクの路上で警察に発見された。
40日黙秘のあと「申し訳ない」
フルヒナー被告に対する刑事責任の追及は、ナチスの強制収容所の元看守が有罪判決を受けたことから可能になった。元看守の裁判では、看守だったという事実が、共犯を証明する十分な証拠になるとされた。これを受け、2011年からさまざまな人物に対する訴追が始まった。
フルヒナー被告は、シュトゥットホーフ収容所のポール=ウェルナー・ホップ司令官の直下で働き、収容者に関する文書などを扱っていた。
裁判で被告は、黙秘を続けていたが、40日たって法廷で、「起きたことすべてについて申し訳ない」、「あの時、シュトゥットホーフにいたことを後悔している。それが私が言えるすべてだ」と述べた。
弁護団は、被告が何を知っていたか疑わしいとして、無罪にすべきだと主張した。
ただ、裁判では、被告の夫が1954年に述べていたことが証拠として採用された。夫は、「シュトゥットホーフ収容所では、人々がガスで殺された。司令官本部の職員たちはそのことを話題にしていた」と話していた。
ドミニク・グロス裁判長は、被告が集団殺害の煙と悪臭に気づかなかったとは「想像できない」とし、「被告はいつでも辞めることができた」と指摘した。
被告は戦後、収容所で知り合ったとみられるナチス親衛隊(SS)の隊長の1人と結婚。その後、ドイツ北部の小さな町で事務員として働いた。夫は1972年に死去した。
生存者たちの思い
シュトゥットホーフ収容所の生存者のジョセフ・サロモノヴィッチ氏は、今回の裁判で証人として出廷した。父親が致死注射によって殺された1944年9月には、まだ6歳だった。
同氏は昨年12月、「彼女は間接的に有罪だ」、「たとえ彼女がただ事務所に座って、父の死亡証明書に印を押しただけだとしてもだ」と、裁判所で記者団に語った。
シュトゥットホーフの別の生存者、マンフレッド・ゴールドバーグ氏は、唯一残念なのは判決の性質だと語った。
「97歳の人が刑務所で服役させられないのはわかっていた。これは象徴的な判決に過ぎない」と、同氏はBBCに話した。
「だが刑期は、1万人以上の殺人に加わったという異常な蛮行を反映したものであるべきだ」
最後の裁判か
フルヒナー被告の裁判は、ナチス時代の犯罪に関してドイツで行われる最後の裁判になるかもしれない。ただ、いくつかの事件についてはまだ捜査が進められている。
シュトゥットホーフにおけるナチスの犯罪については、近年、別の2つの事件が裁判になった。
元収容所看守の男性は昨年、共謀罪で有罪となる「可能性が高い」と裁判所から判断されたが、裁判に不適格とされた。
2年前には、別のSS収容所看守だったブルーノ・デイ被告が、収容者5000人以上の殺害に加担したとして、執行猶予付き禁錮2年の刑が言い渡された。